その名は杏奈

女性歌手・タレント 杏奈(あんな)のホームページです。

歌や舞台に活躍している、タレント 杏奈の活動をご紹介しています。

11月

杉田先生へ

私の小学校3年を担任として
大変お世話になった
杉田先生は
偶然にも母と同じ高校出身でした。
美術専門の先生でした。
絵に全く興味が無い私でしたが
ある日、同級生が傘を持ったモデルで
「とにかく、よく見て描くのよ」
はみ出ても構わない。
そう教えられ、私は斧さんと言う同級生を
一切スケッチブックを見ないで描き上げました。
すると、その絵が次の生徒連絡網の表紙になりました。
先生は日光東照宮や、ヤングランド、日本平動物園に
写生大会が開催されると
「皆んな行きなさい」
と声掛けしてくれ、私にとってヤングランドは遊園地で
遊びたい方が先立ちましたが、描いた絵が
県知事賞を取り、本人は良く分からず、先生方と
両親がビックリしていました。
県庁に表敬訪問したり、何だかあの時、初めて
私の人生がキラキラした期間でした。
しばらくして、芸能界に入り歌を歌ってますと連絡すると
サンハトヤまで泊まりで来てくださいました。
皆んなで伊東のスナックでカラオケをして
楽しかったですね。
先生もそれまではカラオケはやっていなかったけど、
最近、親戚に勧められて始めたらハマった。
そういって笑ってらっしゃいました。

先生の凄いのは、小学校の先生を定年退職した後
多摩美へ再入学し
個展も開き
その表現のエネルギーです。

そして、こんな私に毎年年賀状を下さり
「貴方は私の誇りです」
と書いて下さる事です。

先生、私はとても弱い生徒です。
また、我が儘でもあります。
山口君や小田君の方がきっとずっと凄い。

そんな私でも、気に掛けて捨てない先生に
心から感謝しています。

クサクサしますガサガサします。
毎日が五月蝿くて嫌でしかたありません。

来年発売する新曲に全てぶつけます。
あの時描いたデッサンのように。
はみ出ても、もう、一つだけを見つめます。

杏奈 拝

大吉さんへ

初めてお会いしたのは
「パンドラの箱」のキャンペーンで
静岡を訪れ
高校の同期が経営している
サロン風レストランで休憩していた時でした。
カウンターで座るなり
「牛乳」とオーダーされたので
「いつも牛乳をお飲みなんですか?」
と話しかけると
「体にいいから」
と。
「あんた何してる人?」
と聞かれたので
「歌を歌ってます。20年歌ってますけど、まだまだです」
チラシをお渡ししました。

お店を後にすると、しばらくして同期から連絡が
「大吉さんから電話する様に言われたから連絡して」
と。
急いで電話すると「あなたに、今から2つの携帯番号を教えます。大吉からの紹介と言いなさい。後は貴方次第」

それ以降は割愛します。

沼津魚河岸寿司さんがスポンサーで
静岡放送のラジオコーナーを一年持たせて頂きました。

大吉さん、お元気でしょうか?
またご一緒にカレー食べたいです。
お目にかかれる日を楽しみにしております。

杏奈 拝

Sさんへ

初めてお会いしたのは
赤坂でした。
なんと、某レンタルCD店で
売れ残りCDが投げ売りされていた中
私のCDをジャケット写真買いし
歌を聴いて、ネットで調べ
来店して下さったという

奇特なパターンでしたね。
確かに「パンドラの箱」のジャケット写真
良いですもんね。
歌謡界の「壇蜜」と言われました、あれ。

「別れ話の帰り道」を気に入って下さり
夜、聴いてますって頂けて本当に嬉しかったです。
カラオケで歌いやすいとかより
私の歌声を聴くのが好きって言って下さると
歌手冥利につきます。

今はお仕事で沖縄にいらっしゃいますが
お元気でしょうか?

また東京でお会いできる日を楽しみにしております。
杏奈 拝

ひろし隊長へ

初めてお会いしたのは
神奈川の神社だと思います。

本当はファンの隊長として
名乗って頂きたかったのてますが
「私が誰か一筋とか嫌でしょ?」
と言って
50人位応援してますが
それは大分凹みます。
でも、時々、ひろし隊長が「杏奈さん好きですよ」って
噂を聞くだけで嬉しいです。
後は、仕事が入っても、重要なコンサートだけは
どうか、来てください!!

アドちゃんへ

初めてお会いしたのは
私がデビューに先駆けて
当時ではまだあまりない
「本人がブログを書く」という
私のホームページ
「かなかなゼミが鳴く頃」
の伝言板へ書込みをして下さった事でした。
「アドニス」を名乗り
応援して下さいましたね。
あの頃は「緑のスーパーマン」さんや
「ひーくん」やら
歌の手帖のNさんに
伝言板へ書込みを勧めて下さったり
ラジオへ投稿して下さったり…
皆さんに本当に応援して頂きまして
心から感謝しております。

事務所から「ホームページに割く時間があるなら
歌に集中しなさい」と注意喚起され
更新をやめてしまいましたが、意地でも続けてれば良かった。

更新を辞めても、アドちゃんはライブには必ず顔を出してくれて
バースデーイベントでは来賓挨拶もしてくれました。
※しかも凄い上手いスピーチ

「結婚したよ」というおめでたい話を聞いた後
ご無沙汰してますが、お元気ですか?

私の初めてのファン。
そう自信をもって言い切れるアドニスさん。
上から目線じゃありません。
今でも感謝しています。
本当にありがとうございました。

杏奈 拝

アンディへ

初めて会ったのは
私が小学生3年生。
近所の大邸宅で飼われていた
コリー犬の「アンディ」は
我が家業の患者さんであり
私の最初の親友でした。
広いお庭で放飼いにされていた
当時の日本では考えられない
ヨーロッパの絵本に出てくるような
優雅な自由な飼われ方をしていた
アンディ。
通学の行きと帰りは
塀の外から
「アンディーーーー!」と呼ぶと
「なーーーにーーー!?」と駆けつけ
細長い鼻先を柵から出して
優しい目で会いにきてくれました。
私はアンディが大好きでした。
子供の私にとって大き過ぎる犬に会ったのは
初めてだったけど
全然怖くなかった。

あまりに私がアンディ好きなのが溢れ過ぎていて
内緒で、そのお宅のお姉さんが
一度だけご厚意で庭の中へと
ご招待して貰った日が忘れられません。
広い庭を長い髪ををなびかせ
走り回るアンディを見て
私もアンディみたいになりたいと思ったものでした。

子供が大好きだったアンディ。
喜びを幸せを優しさを、そして自由を…
身体全てを使って表現していたアンディ。

今も忘れられないコリー犬です。
親友だったよね?
私はそう思ってるんだ。
逆に我が家で飼っていた犬達に申し訳ない位。

奈良崎正明さんへ

初めてお会いしたのは
奈良崎さんが、エンカフォンへ移籍される際
喫茶店で打合せした時でした。
たまたま小野ディレクターと
その前に私が打合せしていたので
流れで同席させて頂いたのがきっかけでした。

茨城放送のラジオ「演歌だよ!」の初代アシスタントを務めてさせて頂き、あれからずっと良き先輩。
本日の浅草ビューホテルでのディナーショー
本当におめでとうございます。
一曲目に、奈良崎さんが込み上げてくる想いで
泣かないように、拳を太腿に叩きつけていたのを観て
私も思わず、もらい泣きしてしまいました。

ポーカーフェイスでスマートな奈良崎ですが
本当は一番情に厚く
優しいと思っている生意気な後輩、杏奈です。
これからも「杏奈、馬鹿野郎」の連発を
どうか宜しくお願い致します。

杏奈 拝

デュエットのママへ

初めてお会いしたのは
歌の仕事が減っていき
このままでは静岡に帰らなくてはいけなくて
まだ歌いたくて
ライラックスの古閑さんに
アルバイト先を紹介して頂いた時でしたね。
凄い美人ママで
優しくて
歌が上手くて

歌手を心から応援してくれた方でした。

ママが「最近ご飯が喉を通らない」
と言って病院へいき
最初は逆流性食道炎だと誤診され
本当は癌だと判り
それから一年半で
まだまだ若いのに亡くなってしまったのは
本当にショックでした。

いつか恩返ししたいと思っていたのに
私の身体も病んでしまったのが重なり
何のお役に立てなかったのが本当に悔しいです。

ママに教えてもらった事
プライド、美徳を持つこと。

まだまだですが、今でもママのような女性になりたいと
目標にしています。
ママの形見のコート。
冬になると大切に着ています。

杏奈 拝

有里先生へ

初めてお会いしたのは
サンハトヤの公演が決まり
見栄えの良い衣装を探していた際
お友達の天音(あのん)ちゃんに紹介して貰い
衣装をお借りした時でしたね。
それから、レビューにお声がけ頂き
華やかな世界を経験させて頂きました。
それ以来、大きな舞台の衣装は有里先生のデザインを
着続けています。
元々、ダンサーだった先生に
衣装を最大限に活かしたステージングのいろはを
教えて頂き、私のステージも随分変わって
本当に感謝しています。
私の良い所も悪い所も全て受け入れて
最終的に「貴方はちっとも変じゃないわよ」
と肯定して下さるのが、私は1番嬉しいです。
何故か先生やみーちゃんには、素直になれる私。

居心地良い場所って有難いですね。
今日は、また素敵なお衣装と巡り会え
3着購入しました。
早くステージで着たいな。
お客様が喜ぶのが、今から分かる 笑

有里ファミリーの皆様
今後とも宜しくお願いします
杏奈 拝

Tくんへ

初めてお会いしたのは
私が歌手になるずっと前でしたね。
競馬博物館で働いていた時
競馬が好きな
19歳の男の子でした。
「笑顔が良いですね」
と、言ってくれたので
「これは演技してるの、本当の私は違うよ」
と告げると、少しビックリしていました。
私が身体を壊し、静岡に帰っていた時
私のバイト先まで、東京から自転車で箱根を超えて会いに来てくれましたね。
私もビックリしました。

それから、色々あって、また東京で芝居をしている私を見つけてくれました。
大きな花束と何枚もの手紙を添えて。
貴方は「私と出会い人生が変わり、自分も演劇に携わり、女優さんと結婚して子供もいる」
と教えてくれました。
嬉しかったけど、なんだか申し訳ない気持ちもありました。
それから、奥様も一緒に応援し続けてくれました。
「パンドラの箱」の動画や、ライブのチラシのデザイン。
才能ある貴方にまた私はビックリしました。

貴方に謝りたい事があります。
歌えなくなった私を変わらず応援してくれたのに
私が先に諦めてしまった事。
他の居場所を探してしまった事。

ごめんなさい。
相変わらず、私は歌が下手だよ。
でも、また歌う事にしました。
作り笑いで過ごしていた私ではなく
次にもし会えたら
今度は本当の笑顔で会えるように

相変わらず、声がひっくり返るし
正直、歌に自信はないよ。
けれど、どんなに見苦しくても
それを分かってくれる人がいたから。

あの頃の少年は今、いくつになりましたか?
私は50歳になりました。

お互い、良い人生を過ごして行きましょう。
杏奈 拝