その名は杏奈

女性歌手・タレント 杏奈(あんな)のホームページです。

歌や舞台に活躍している、タレント 杏奈の活動をご紹介しています。

未分類

アドちゃんへ

初めてお会いしたのは
私がデビューに先駆けて
当時ではまだあまりない
「本人がブログを書く」という
私のホームページ
「かなかなゼミが鳴く頃」
の伝言板へ書込みをして下さった事でした。
「アドニス」を名乗り
応援して下さいましたね。
あの頃は「緑のスーパーマン」さんや
「ひーくん」やら
歌の手帖のNさんに
伝言板へ書込みを勧めて下さったり
ラジオへ投稿して下さったり…
皆さんに本当に応援して頂きまして
心から感謝しております。

事務所から「ホームページに割く時間があるなら
歌に集中しなさい」と注意喚起され
更新をやめてしまいましたが、意地でも続けてれば良かった。

更新を辞めても、アドちゃんはライブには必ず顔を出してくれて
バースデーイベントでは来賓挨拶もしてくれました。
※しかも凄い上手いスピーチ

「結婚したよ」というおめでたい話を聞いた後
ご無沙汰してますが、お元気ですか?

私の初めてのファン。
そう自信をもって言い切れるアドニスさん。
上から目線じゃありません。
今でも感謝しています。
本当にありがとうございました。

杏奈 拝

アンディへ

初めて会ったのは
私が小学生3年生。
近所の大邸宅で飼われていた
コリー犬の「アンディ」は
我が家業の患者さんであり
私の最初の親友でした。
広いお庭で放飼いにされていた
当時の日本では考えられない
ヨーロッパの絵本に出てくるような
優雅な自由な飼われ方をしていた
アンディ。
通学の行きと帰りは
塀の外から
「アンディーーーー!」と呼ぶと
「なーーーにーーー!?」と駆けつけ
細長い鼻先を柵から出して
優しい目で会いにきてくれました。
私はアンディが大好きでした。
子供の私にとって大き過ぎる犬に会ったのは
初めてだったけど
全然怖くなかった。

あまりに私がアンディ好きなのが溢れ過ぎていて
内緒で、そのお宅のお姉さんが
一度だけご厚意で庭の中へと
ご招待して貰った日が忘れられません。
広い庭を長い髪ををなびかせ
走り回るアンディを見て
私もアンディみたいになりたいと思ったものでした。

子供が大好きだったアンディ。
喜びを幸せを優しさを、そして自由を…
身体全てを使って表現していたアンディ。

今も忘れられないコリー犬です。
親友だったよね?
私はそう思ってるんだ。
逆に我が家で飼っていた犬達に申し訳ない位。

奈良崎正明さんへ

初めてお会いしたのは
奈良崎さんが、エンカフォンへ移籍される際
喫茶店で打合せした時でした。
たまたま小野ディレクターと
その前に私が打合せしていたので
流れで同席させて頂いたのがきっかけでした。

茨城放送のラジオ「演歌だよ!」の初代アシスタントを務めてさせて頂き、あれからずっと良き先輩。
本日の浅草ビューホテルでのディナーショー
本当におめでとうございます。
一曲目に、奈良崎さんが込み上げてくる想いで
泣かないように、拳を太腿に叩きつけていたのを観て
私も思わず、もらい泣きしてしまいました。

ポーカーフェイスでスマートな奈良崎ですが
本当は一番情に厚く
優しいと思っている生意気な後輩、杏奈です。
これからも「杏奈、馬鹿野郎」の連発を
どうか宜しくお願い致します。

杏奈 拝

デュエットのママへ

初めてお会いしたのは
歌の仕事が減っていき
このままでは静岡に帰らなくてはいけなくて
まだ歌いたくて
ライラックスの古閑さんに
アルバイト先を紹介して頂いた時でしたね。
凄い美人ママで
優しくて
歌が上手くて

歌手を心から応援してくれた方でした。

ママが「最近ご飯が喉を通らない」
と言って病院へいき
最初は逆流性食道炎だと誤診され
本当は癌だと判り
それから一年半で
まだまだ若いのに亡くなってしまったのは
本当にショックでした。

いつか恩返ししたいと思っていたのに
私の身体も病んでしまったのが重なり
何のお役に立てなかったのが本当に悔しいです。

ママに教えてもらった事
プライド、美徳を持つこと。

まだまだですが、今でもママのような女性になりたいと
目標にしています。
ママの形見のコート。
冬になると大切に着ています。

杏奈 拝

有里先生へ

初めてお会いしたのは
サンハトヤの公演が決まり
見栄えの良い衣装を探していた際
お友達の天音(あのん)ちゃんに紹介して貰い
衣装をお借りした時でしたね。
それから、レビューにお声がけ頂き
華やかな世界を経験させて頂きました。
それ以来、大きな舞台の衣装は有里先生のデザインを
着続けています。
元々、ダンサーだった先生に
衣装を最大限に活かしたステージングのいろはを
教えて頂き、私のステージも随分変わって
本当に感謝しています。
私の良い所も悪い所も全て受け入れて
最終的に「貴方はちっとも変じゃないわよ」
と肯定して下さるのが、私は1番嬉しいです。
何故か先生やみーちゃんには、素直になれる私。

居心地良い場所って有難いですね。
今日は、また素敵なお衣装と巡り会え
3着購入しました。
早くステージで着たいな。
お客様が喜ぶのが、今から分かる 笑

有里ファミリーの皆様
今後とも宜しくお願いします
杏奈 拝

Tくんへ

初めてお会いしたのは
私が歌手になるずっと前でしたね。
競馬博物館で働いていた時
競馬が好きな
19歳の男の子でした。
「笑顔が良いですね」
と、言ってくれたので
「これは演技してるの、本当の私は違うよ」
と告げると、少しビックリしていました。
私が身体を壊し、静岡に帰っていた時
私のバイト先まで、東京から自転車で箱根を超えて会いに来てくれましたね。
私もビックリしました。

それから、色々あって、また東京で芝居をしている私を見つけてくれました。
大きな花束と何枚もの手紙を添えて。
貴方は「私と出会い人生が変わり、自分も演劇に携わり、女優さんと結婚して子供もいる」
と教えてくれました。
嬉しかったけど、なんだか申し訳ない気持ちもありました。
それから、奥様も一緒に応援し続けてくれました。
「パンドラの箱」の動画や、ライブのチラシのデザイン。
才能ある貴方にまた私はビックリしました。

貴方に謝りたい事があります。
歌えなくなった私を変わらず応援してくれたのに
私が先に諦めてしまった事。
他の居場所を探してしまった事。

ごめんなさい。
相変わらず、私は歌が下手だよ。
でも、また歌う事にしました。
作り笑いで過ごしていた私ではなく
次にもし会えたら
今度は本当の笑顔で会えるように

相変わらず、声がひっくり返るし
正直、歌に自信はないよ。
けれど、どんなに見苦しくても
それを分かってくれる人がいたから。

あの頃の少年は今、いくつになりましたか?
私は50歳になりました。

お互い、良い人生を過ごして行きましょう。
杏奈 拝

千葉のお父さんお母さんへ

初めてお会いしたのは
千葉の健康センターでしたね。
デビューして3年位経った頃でした。
家族揃って宴会場で私のショーを観てくれました。

歌い終わると、私を席まで呼んでくれて
経営している天ぷら割烹屋さんで
「毎年、お祭りをやるから歌いにおいで」
とお仕事を下さいました。
それから5年位、毎年私を呼んで応援して下さいました。
私の歌がカラオケに初めて入ると
わざわざ配信カラオケを購入してくれて
「毎日かけてるぞ」
と、励ましてくれました。
お母さんも、息子さんも娘さんも家族絡みで応援して下さいました。

事務所を辞めようとしたら、事務所から手紙が届き
「あの子を応援するのはあの子の為になりませんから
もう連絡が来ても応援しないで下さい」
という内容だったのにも関わらず
私を信じて下さいました。
それからも変わらず、何かあれば応援に駆けつけてくださり
浅草ビューホテルでの新曲発表会にも
中野サンプラザにも
お母さんと一緒に応援に足を運んで下さいました。

…突然のお母さんの死。
娘さんからの連絡を受け、病院へ行くと
家族じゃないのに、私を集中治療室で息を引き取った
お母さんと対面させて貰いました。
もちろん、お通夜へも。
お母さんは常日頃、皆んなにこう言ってくれました。
「あの子の歌声を聞けば、すぐあの子の今日の体の調子
が私は分かるんですよ」
実の母より分かっていたと思います。
お母さんが亡くなり、すっかり元気を無くしたお父さん。
それでも、たった一人でサンハトヤのショーに来てくれて、伊東のスナックで私の母や、私の小学校の恩師とカラオケを楽しんだりしてくれました。

娘さんが高知へ嫁ぎ、息子さんも独立し…
本当に一人になったお父さんが
ある日電話をくれました。
「一人になっちゃったよ」って。
お父さん、私、あの日の事を後悔しています。
もっと長くお話ししてあげれば良かったのに。
「娘さんが幸せになったんだから喜ばなきゃ」
そんなありきたりの言葉しか言えなかった。
本当にごめんなさい。

そして…
コロナ禍の中、お父さんの訃報。
お別れもまだ出来ていなくてごめんなさい。

コロナが落ち着いたら、必ず、私の実母と一緒に
お墓参りに行くからね。
待っててね。

本当に本当にありがとう。

杏奈 拝

Oさんへ

初めてお会いしたのは
湯島のピアノバーで
私がデビューして2年位経った頃でしたね。
それから私を歌手と認識して貰うのに
一年位掛かったかもしれません。
お誘いするとライブには必ず来て下さいました。
浅草の焼肉屋さんも沢山ご馳走して下さいましたね。

一番の思い出は
リヤカーで荷物を運ぶ宅配便屋さんが通りかかって
「杏奈さんも継続していけば、そのうちみんな辞めてしまう。だから、歌い続けて希少価値になれば良いのですよ」
と、言われたこと。
そして一番感謝しているのは
スポンサーが突然降り
発売も決まっていたのにも関わらず
資金をどうしようかと
夜も眠れない位悩んでいた時
何も言っていないのに資金を工面して下さった事です。
ビックリして号泣した私に
「その涙にはその位の価値があります」
と、何も要求せず遠くから応援して下さった事です。

そして、今回も一度諦めた私に
また「神の目に耐える行動をしなさい」
と、言って下さいました。
神とは「自分」という事です。
「自分に嘘をつかない人生を生きなさい」
と言って下さいました。
毎日、今日の私は「神の目に耐える行動ができたか」
そう考えながら眠りについています。

杏奈 拝

新曲

ご無沙汰しております。
原宿ラドンナの記事から…
20周年を迎える前に
活動を停止しておりました。

皆さん、お元気ですか?
私は元気じゃない時間が
長く続いていました。
自問自答を繰り返し
新しい自分の居場所を探していました。
例えるなら暗闇の中で。

そして 大型の災害、新型コロナ…
私だけでなく
きっと皆さんも辛い寂しい不安な想いを
沢山抱えていらっしゃる事でしょう。

少しずつですが、光が見え
少しずつ元気を取り戻してきました。
改めて「大切な」ものがわかり
「大切な」ものに感謝の気持ちが溢れてきました。

歌を歌ってきたから
出会えた皆さん

それが私の宝物です。

不義理を繰り返してきた私を深く反省し
本当の笑顔を皆さんと分かち合える日を
信じる事にしました。

これから毎日、皆さんにブログを通して
お手紙を書きます。
来年、新曲を発売します。
それも、皆さんへの感謝の気持ちをお伝え出来るようにします。

本日、東京は雨。
ご自愛ください。
杏奈

悪女について

我が家の悪女が生後6ヶ月になりました。

住み着いてまだ2ヶ月ちょっとですが

翻弄される毎日です。

悪女は早起きで

私が留守にしている日中はごろ寝三昧。

帰宅するとストーカーばりについて周り

眠くなると勝手に居なくなります。

悪女は大女優でもあり

私が何かに熱中したい時に限って

この世で一番自分が可哀相…みたいな鳴き声を出し

私の作業を中断させます。

あまりの哀れっぽい声に

「絶対嘘泣き」

と解っていても構わずにはいられません。

嘘トイレ

という演技もします。

オシッコやウンチの後片付けを私が速やかにするのにつけ込んで

自分に注意を引きつけたい時に

トイレ砂(紙タイプ)をガサゴソ掻き回します。

しかも

私が台所に立っていると

くちゃくちゃ食べているようなそぶりでやって来て

「ぺっ!!」

と、トイレ砂(紙タイプ)の欠けらを吐き出し

「わたし、これ食べちゃうんだから!」

…別れるなら私死にます、みたいな狂言自殺を試みるメンヘラ女を演じるのです。

私が寝ようと電気を消すと

「寝るの?ふーん、寝れば?」

つーーーんと側から離れて行くクセに

私の布団から少し離れた所で

背を向け肩を落として座り込むのです。

…なんとゆー演技力!!

この歳になって猫に、ほっとけない男性を魅了するテクニックを教わっています。

猫、可愛いなー。